親の死を経験してから3年が経過しましたが、私は自分の人生というものについて考えました。
今までは誰かのために生きるということこそが正しいと思われた時代、そんなものが美徳でしたがこんなに虚しいものかと思いました。
親の死、家族の介護すべて私がやってきた中でもやはりこれほど心に虚しさが残るものは人生で経験したことがないものでした。
「どうせ一回きりの人生、自分の人生の舵取りは自分でやる」
ただし、自分は病院では死にたくはないです。
親の看取りを通じて感じた生きるとはなにかということ
親を看取るというのは誰しも避けられないことではないかと思いますが、私はこんな別れ方絶対に嫌だと思いました。
私も両親が別々の病院ですが、すべて家族の代表として私が看取りました。
その時に感じたのは自分が天涯孤独になったのだなということと、これからの人生はどうやって生きていこうかということでした。
葬儀、火葬、お墓の建立、納骨式まですべて私がやりましたがもう疲弊しました。
本当によくやっているとはいえ周りの反応はもうあほらしさがありました。
所詮他人だよねと思うぐらい友達だと言われた人はみんな去っていきました。
人間はこんなに冷たいのかと思って絶望しましたが、私があちらの世界に行くときは絶対に自然死を選ぶでしょう。
今の医療にはもう不信感しかないですから。
現代医療はまさに屠殺
現代医療を見てもらえればわかると思いますが、がん治療はもう本当に人殺しと言ってもいいぐらいおかしな治療をしているわけです。
私は東洋医学であれば生き残っているんじゃないかという人は見かけますがやはりそういう間違いだらけの医療だとはいえみんな洗脳されているのでしょう。
抗がん剤はがんを増やすもの、しかしメディアは一切報道しませんが流石に私の親もこんな抗癌剤に苦しめられて亡くなったということで本当に残念です。
でも、私は知恵をつけ、そしてだめなものはだめと言える人間になり、人はいつか死ぬということは避けられないとはいえ、やはり自然死を選びます。
そのほうがいいですし、別に病院で亡くなってお金まで取られるアホな死に方だけはゴメンです。
今でさえ抗てんかん薬を半世紀飲んできましたが、もう馬鹿らしいです。
すべて薬が原因だろうと言いたいですが、はっきり言ってこれこそが馬鹿らしいです。
薬は効かないというよりも症状を緩和させるだけであり、根本治療ではないということです。
依存させてどうするんだと逆に言いたいです。
てんかんはもう病気というほどでもない
昔はこのてんかんという病気に悩まされたと言ってもいいですが、私も正直このてんかんにはうんざりしました。
今は薬も良くなって、投薬治療で治る時代になりましたが、昔は治らないとか言われて検査漬けにされたことがありました。
私は公立病院が嫌いなので、正直関わりたくないですが、一つだけ言えることはてんかんは食生活やストレス、そして睡眠不足にさえ気をつければまず大丈夫であること。
私自身もまともに30歳ぐらいまでは群発地震のように引き付けを起こしていましたが、今は薬を飲んでしっかりと治しています。
恐れるほどの病気でもなんでもないです。
今はネット社会になり、ライバーやブロガーなどの働き方もあります。
ですのでこれからはてんかんも公的支援をうけつつ、いろいろな意味で健常者に近いようになってくるのではないかと思います。
お金の勉強だけは最低しておけ
今からの時代はお金の勉強だけは裁定しておいたほうがいいです。
なぜかといえば、お金の不安で今後どうなるかというよりも、老後の心配をしないといけないかもしれませんが、私は何よりもお金の勉強をしなかったことが仇だと思いました。
親がパチンコなどのギャンブルにのめりこみ、もうある意味呆れられていましたが私はそれでも自分自身お金もちになるためにもお金持ちと言われる人たちのマネをしてきました。
例えば美術館などはよく行きましたし、感性を磨くということで本当にいろいろなところに行きました。
あとはとにかくお金の循環をするためにもケチな人生や人間関係だけは断捨離していこうと思いました。
何よりも大事なことはお金はエネルギーであるということ。
このことを理解しないと先には進めません。
お金の使い方が荒い、浪費をしている人は絶対にろくなことはないですが、お金持ちは自己投資をしっかりとやっています。
その投資の概念がないときほど本当にろくなことはないでしょう。
病院とかかわらない方法はあなたが健康になること
最初にも話したように人はいつか死にますが、それならばあなたが健康を意識して食べ物や運動などをしっかりとやっていくことが大事です。
馬鹿の一つ覚えみたいに検診に行くのは自分から死にますと言ってるようなものであり死んでもいかないです。
私は何よりも自然死を望んでいるのは別に孤独だからこそそのほうがいいかなということで選んだにすぎません。
親の死はもちろん病院でしたが、金取られて死んでというのであれば馬鹿らしいです。
自分はもっと人生は楽しくやりたいことをやって死ねたらなと思いますが、そういう人生も悪くはないです。
そういう人生こそ後悔しない生き方ではないかと思います。
どっちに転んでもあなた自身が自分の人生に責任を持って生きる、そうすれば他人の干渉までして変えようとする人間はいないでしょう。
私はそんな迷惑な人間とは関わりたくはないですね。
まとめ
何度もいいますが、どこで死ぬかなんて決められませんが、私は病院だけは死んでもゴメンです。
自分は自然死を望んでいるのでどうせならばそのほうが人生は悔いはないと思うぐらいです。
病院で薬漬けにされてまで生きようとは思いませんし、親世代の無責任な思想に振り回された結果がこうして来ているわけです。
はっきり言ってこんな生き方はしなくていいですし、自分軸で生きればいいと思います。
楽しい人生を歩みましょう。

著述業、ブログ執筆者。兵庫県出身。主に書くことが好きで色々なことに挑戦するが
失敗まみれの人生を歩む中でも人生とはなにかということを色々と自分なりに答えを
だす。当ブログでは自分の経験してきたことを発信しつつ、読者の視点になって物事を
考えていくサイトにしていきたいと思います。